kirishunの春休み8
どうも、こんばんはkirishunです。
今ですね、さっきまで寝ておりましてちょっとイライラしながらブログを書きに来たkirishunです笑
だったらやるんじゃねーよって思うのわかります、はい。
今日ブログを書かずにまた明日から毎日しっかり更新できるのならいいんですけれど、たぶん私ここで止まってしまいますと、永遠に止まり続ける可能性があるのです。
一回止まっちゃうと何事ももういいやってだんだん投げやりな感じになってくるんです。
コレだから、継続するのは難しいんですよね。
持久走とかまさにそれで、疲れて歩き始めてしまったときなんて次にまた走り出すの難しくありません?
だったら、止まらずそのまま走り続けるしかないんですよねってなんてかっこいい言葉なの笑
ということで、今回は関係のない話をダラダラと書く訳にはいかないので、前々回の続きを少し書いていこうと思います。
前々回では、親にバイトを辞めたことを隠していると書きました。
理由は、高校生の時にやっていたバイトを辞めたときに親からいろいろと言われ私kirishunのプライドがズタズタになったからです。
この頃から、親には私のことについてはなんにも言わなくなりました。
だから、この頃から親は私の行動パターンがわからず、いろいろと迷惑かけているかもしれませんが、自分を守る術だから致し方ありません。
最も、親とは今では少し改善されたものの、少し前までは超絶仲が悪かったのですが。。。
それが反抗期による仲違いによるものかどうかわかりませんが、高校の時なんて親に弁当を作ってもらったことが3度くらいしかないほどです。
だから、ソレをきっかけで始めたバイトのお金で高校の昼飯など自分の身の回りのほとんどはやるようになっていました。
こんな高校生だった人私以外にいますかね!?
基本的には、夜飯にもらっていた茶碗一杯の米とコップ一杯の水だけは流石にもらっていました。
稲荷神にちゃんとお礼をしとかないとねっ、みなさんも一緒に!いつもありがとうございます。
まぁ、夕飯はもっとしっかり食べさせてもらっていました、あと家に住ませてもらっていました。
すいません、他にもいろいろと学校の給食費とかいろいろと親にちゃんとしてもらっていた、はずです笑
高校時代のときは本当に仲の悪さがピークでして、親からは何度も何度も「今日は家族会議をやる」だとか言われてまして、ホントなんなのソレ。
親と言っても母親の方でして、母とは毎日一緒になる時間が多いため、友達同然になんでも言えてしまい、変わって父は仕事で忙しく一緒にいる時間が少ないため、真逆の感じって言ったところです。
そのため、母にだけ言うことを聞かない私に対して、母は常套手段として先程言った「家族会議」をすると言うのです。
母がこの言葉を口走るときは、仕事が忙しくストレスも溜まっているだろうと考えられる父に対して子供を叱ってなんとしてくれということなのである。
その家族会議とやらが始まってしまったときには、私なんて正座をさせられて父からの説教、挙句の果てに父との取っ組み合いバトルのゴングが鳴ってしまうのであーる。
と今回はここまでで締めさせていただきます。
春休みの話から脱線しまくっているからまったく話が進まないですけれど笑
以上、kirishunの春休み8ではなく「反抗期のkirishun~母に手を焼かす」でしたー。
よくわからんなー。
ここまで見ていただき本当にありがとうございます。
では、おやすみなさい
明日、はよおきんと(泣)